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廃屋となった妻の生家を尋ねて
廃屋となった妻の生家を尋ねて
http://www.ohmynews.co.jp/news/20080506/24593?cd
ゴールデンウィーク中のことだが、私たちが住む北海道・美幌町から車で約4時間の距離にある妻の生家の美瑛町へ向かった。
美瑛町は北海道の中央部に位置し、富良野市とともに北海道を代表する観光地である。また、「日本で最も美しい村連合」に加盟しており、その本部は美瑛町に置かれている。
美瑛町のメインストリートはきれいに整備され、洗練された町並み(建物デザイン)が農村の丘陵風景と調和がとれ、どこかメルヘンの世界へ来たような印象を持つ。
その美瑛町から車で20分ほど行った山あいに妻の生家がある。妻が通った小学校(廃校)や彼女が幼いころ、集落の秋祭りで遊んだ神社を尋ねた。今は周辺に人家も少なくなり、神社の鳥居にかけてあった大きなしめ縄も朽ちて地に横たわっていた。
小高い丘の上に立っている神社のそばに少しばかりの平地があり、お祭りの時はここで子供たちが相撲をとって遊んだという。大人の今、その平地を見ると、狭い面積に見えるが、子供のころは大きく見えたことだろう。
その神社から車で1.5キロ山あいに入ったところにある、妻の生家へと車を走らせた。
「おいおい、車ここから先行けないぞ! あとは徒歩だなぁ」と私。
「通行止めだね」
車から降り、妻と生家の見える場所まで15分ほど山道を歩いた。途中、離農した廃屋があり、より自然の中へ突き進むことになった。
「あ! あれだよ」と妻。
「ん? どこ?」と私。
「ほら、この下の沢に屋根見えるでしょう」
それは、鬱蒼(うっそう)とした木々で遮られ、そのすき間からわずかに見える、まるで山に飲み込まれ、辛うじて建っている廃屋であった。
廃屋となった妻の生家(撮影:渡辺良一)
「熊(くま)が住んでるかもしれないから、近づかないほうがいい」と妻。
「ん~ん、降りる道がないなぁ。一応行けるところまでいってみるかなぁ」と私。
妻をその場において、私は1人でカメラを担ぎ沢に下りることにした。周りからは自然の音しか聞こえない。
何を残すことができるだろうか
以前、旭川市に住んでいる妻のお兄さんに、妻が生まれた生家(廃屋)を見に行くと告げたところ、「たぶん、木々や雑草に覆われ、そこまで行けないだろうなぁ。廃屋は熊の住みかとなってるかもしれないから、近づかないほうがいいよ」と言われていた。
「崖(がけ)になっているからね。落ちたら、知らないからね」
後ろから声が聞こえる。
「大丈夫だ」と答えたものの、進むほどに熊笹(くまざさ)で先が見えなくなった。
「ねぇ。熊が住んでるかもよ。食われたって知らないよ。そこからでも写真が撮れるでしょう。戻ったほうがいいんじゃないの」と再び妻の大きな声。
10メートルほど下ったところで、「熊が住んでるかも」という言葉に少々不安になり、さらに自然の物音に不気味さを感じ、生家の中を探索することは断念した。
妻の生家は、1948年(昭和23年)に戦後開拓で妻の祖父が中心となり、父、その兄弟、周りの集落の人々の手によって建てられたという。
明治の開拓で残った地域ということもあり、農地としての立地条件は劣悪で、開墾の苦労は並々ならぬものであっただろうと想像できる。
妻の叔父さんの話では、槐(えんじゅ)の木を使って建てられたという。山から槐の木を伐採して、柱や梁(はり)に加工して、肩に担いで山道を運んだそうだ。
槐の木はマメ科に属する木で木質は非常に固く、成長も遅い。まだ朽ちずに残っている妻の生家は、その木を使ったため、山あいの雪深い地でも崩壊せず残っているのだろう。
廃屋となった納屋(撮影:渡辺良一)
昨今、限界集落という言葉が話題となっているが、妻の生家のある集落も、農業情勢の変化と立地条件の悪さから経営が成り立たず、多くの人が離農を余儀なくされ、この地をあとにした。このようなところは日本中いたるところに点在しているだろう。
私の住んでいる美幌町も人口が減り続け、商店街はシャッター通りになり、周辺農村の現状も厳しい。
50年~100年後、私の住む美幌町が限界集落にならない保証はない。目立たずひっそりとたたずむ妻の生家を見て、静かに進行している美幌町の疲弊に対して何ができるのだろうか、何を残せるのだろうかと考えさせられた旅でもあった。
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